株価や成績のうなぎ登りを願い、老舗うなぎ屋で、「ゲンを担ぐ」食べ方は、
実は資源としてのうなぎにとっても優しい食べ方。
美味しいうなぎの歴史とともに、うなぎの抱える問題を調べてみました。
証券マンの「ゲン担ぎ」がうなぎを救う!?

日本人とうなぎ
香ばしい醤油の香りについ誘われて…
うなぎの蒲焼(かばやき)をごはんに乗せた「うな重」や「うな丼」は日本人の大好物のひとつです。
そもそも日本人は、昔から脂肪の多い食品が好き。中トロ、大トロ、サシが入った牛肉。
うなぎもまた良質な脂肪分を多く含む食品です。
コクのある身を、職人が炭火で香ばしく炙り、これまた日本人の好きな醤油のタレに漬け込み、
あつあつの白飯の上に乗せる。うな重またはうな丼の出来上がりです。
日本におけるうなぎの食の歴史は古く、縄文・弥生時代の遺跡から、うなぎの骨が出土していることが確認されています。
その時代の調味料を用いて調理され、鎌倉時代あたりでは、丸焼きしたうなぎに豆油(たまり ※味噌を作る際にできる上澄みのこと)や
山椒味噌をぬって食べたりとシンプルな食べ方であったそう。
その後江戸初期の元禄時代に刊行された書物に、割かれたうなぎの「蒲焼」が初めて登場し、
現代の蒲焼のスタイルに発展し始めたのもこの頃であったと推測できます。
江戸期において、江戸の名物や名所を記したガイドブックにもうなぎ屋は多く登場しています。
現在のように飽食の時代ではありませんから、脂肪分の多く美味しいうなぎはとても人気があったことでしょう。
(参考文献:塚本 勝巳・黒木 真理『日本うなぎ検定』 小学館、2014年。)

『近世職人尽絵巻(きんせいしょくにんづくしえまき )』(江戸時代/19世紀)
東京国立博物館所蔵.文化遺産オンライン
「土用丑の日」はいつ始まった?
今日でいう「土用丑の日」にうなぎを食べる習慣ができたのは、江戸時代中期に活躍した芸術家・研究家である
「平賀源内(ひらがげんない/1728-1779)」が生み出したキャッチコピーが原因であることが、一般的に最も広く知られています。
(この話には諸説あります)
商売繁盛のアイディアを求め源内のもとに来たうなぎ屋に対し
「本日は土用の丑、鰻食うべし」と書いた板を店先に出すように指示したところ、
大繁盛したうえ、他のうなぎ屋も真似をしたので風習として広まったとか。
(参考サイト:平賀源内と土用の丑の日.キリン食生活文化研究所 ほか)

慶應義塾図書館

うなぎが抱える大きな問題
江戸で花開いた食文化を発端に、日本人を虜にし続けるうなぎ。
しかし残念なことに、生物としてのうなぎは深刻な問題を抱えています…
うなぎの養殖は、天然の稚魚(シラスウナギ)を自然界から採ってきて、成魚まで育てる方法がとられています。
しかし稚魚の漁獲量は年々減っており、
2014年、ついにニホンウナギはレッドリストの絶滅危惧IB類に指定されるほどになってしまいました。
(絶滅危惧IB類の定義は、「近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの」で、第2番目のランクの危険度です。)
ウナギの稚魚の密輸について近年ニュースで取り上げられることが増えましたが、
残念な事実として、日本の「土用丑の日」も、乱獲や密輸を促進する原因に含まれているようなのです。
シラスウナギは、日本で土用のうしの日に向けて育てるためこの時期に主に香港から買い付けられ、
高値で取り引きされますが、漁場がある台湾では、資源保護のため、輸出が禁止されており、
台湾から香港に密輸されたものが、日本に輸出されているという指摘があります。引用:NHK NEWS WEB.2016年11月
ニホンウナギは絶滅危惧種に指定されるまでになった原因は、乱獲、そして環境汚染といわれています。
東アジアの各国どうしでの話し合いや、日本におけるうなぎの資源管理の積極的な取り組みが行われている一方で、
まだこのような問題も残っているのです。
希望の光も。卵からうなぎを育てる“完全養殖”の実用化までもう少し!
2010年の日本で、独立行政法人「水産総合研究センター」の努力で、世界で初めてうなぎの“完全養殖”が成功しました。
しかしこの技術はまだ研究段階で、養殖場に十分供給できる量のシラスウナギは生産できないそうです。
うなぎの幼生「レプトセファレス」のは非常にデリケートで研究には時間を要しますが、研究員が懸命に努力を続けています。
先に韓国にて、実用化できるほどのシラスウナギの生産に成功したというニュースもあり、近い将来の日本もきっと…。
卵からの完全養殖が完成すれば、少なくとも日本国内からうなぎの資源を守ることができ、
密輸などの軽減にも繋がりそうですね。

証券マンがうなぎを好むワケ
さて、東京の金融街を歩けば、老舗うなぎ屋が多く軒を連ねます。
江戸の食文化が生み出したうなぎの蒲焼が、現代では証券マンに好まれているのが面白いですね。
特に年末年始はゲンを担ぎにうなぎを食し、株価が上がった時にもうなぎ屋に飛び込むという話もあります。
これは勿論「うなぎのぼり」という言葉から来る、金融界における日本の風習のようなものです。
うなぎのぼり(鰻上り、鰻登り) は、物価や株の相場などが、何かをきっかけに急速に上昇して行く場合等に、
その急速さを比喩するのに使用する言葉である。引用:うなぎのぼり.ウィキペディア
夏はうなぎの価格が高騰し、稚魚の乱獲を促進させる一因ともなるので、
土用丑の日にこだわらず、老舗うなぎ屋で景気付けに一杯のうな重を大切に味わうという
証券マンのゲン担ぎ…は環境に優しい食べ方でもあるのですね。
そもそも、うなぎの旨味である脂肪分は冬に向けて蓄えられるので、夏のうなぎが特別に美味しいというわけではないようですよ。
明治七年から続く老舗うなぎ屋「喜代川」でうなぎを頬張る
茅場町駅を降り、東京証券取引所横の「証券取引所前」の交差点から鎧橋を渡り、「お酒のカクヤス」手前の路地を入ると
細い路地に老舗旅館のような雰囲気を漂わせる築90年の日本家屋がたたずむ。
老舗うなぎ屋「喜代川(きよかわ)」です。
明治七年創業、江戸風情が残る建物はそこだけタイムスリップしたかのような建物で、
江戸の人物になりきり、ちょいと身をかがめてのれんをくぐりたくなります。
店内はこじんまりと綺麗で、たっぷりの榊が飾られた神棚が丁寧に祀られています。
神棚を見ると、店の主人や女将さんの人となりがなんとなくわかるもの。
ここのうなぎはきっと旨いに違いない。
骨せんべいなどをつまみつつ、「写真を撮影してもよいですか」と店の方に聞けば、
「いいですよ! 美味しそうに撮ってくださいね。私も綺麗に撮ってもらわなくちゃ」と。和やかな笑いに包まれます。
「竹松菊」(特上・上・並)とあり、お腹いっぱい食べたいので竹をオーダーしました。
喜代川では、うなぎはその時季に良質な養殖うなぎを仕入れ、そのうなぎを割き、
じっくり蒸して備長炭で一枚一枚丁寧に焼き上げるそう。まずは冷酒で一杯やりつつ、うな重を待つことに。
ついにうな重が到着。
竹にしてはほどほどのボリュームですが、撮影もそこそこに、待ちきれずうなぎと白米を箸でちょうどよい具合に掬い取り頬張る。
香ばしいうなぎがさっくりホロホロと溶けてゆき、また醤油ダレの塩梅が抜群に良い。
甘さが控えめで醤油の香りが立っており、脂肪分の多いうなぎの風味と上手く調和しています。
しかしこのうな重の良くないのは、一口二口と箸がすすみすぎて、瞬く間に無くなってしまうところ。
2階は風情のあるお座敷で、本格的なうなぎのコースを堪能することができます。
このお店はホームページも整っていてわかりやすいのですが、
電話予約とともに、オンラインからの予約が可能で非常に便利ですよ。
ゲン担ぎにうなぎを食べに行こう!
うなぎを食べると、栄養価の問題だけでなく、何故かパワーがみなぎる感じです。
投資には情報収集や冷静にじっくり考えることが重要ですが、うなぎのパワーで身も心も充実できる。
そんなところにも証券マンがうなぎ屋に通う秘密があるのかもしれませんね。
うなぎは食だけでなく、文学や、芸術、信仰など様々な日本文化に登場する、なくてはならないものです。
うなぎと日本人の素晴らしい関係をこれからも続けていきたい。
そして、
「日本の投資家は縁起がよいことからうなぎを食べるそうだよ」そんな風習も残していきたいものです。
あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月おし照れり
斎藤茂吉『暁紅』より(昭和11年/1936)